画家AKi AKi研究所 ゴーグリーン
AKi研究所 ゴーグリーン 業務概要図

研究内容

人間の研究とは、さまざまな要素が重なり、とても複雑な構造の上に存在しています。私たちは、福祉作業所ライフステージ公認のもと、AKiの取り巻く環境を各それぞれのジャンル(作品医学・福祉社会家族)に分類し、それぞれのジャンルを一つひとつ深く掘り下げながら、また各ジャンルの連動を図りながら、特異性、特質性、ポテンシャル(可能性)を探るのと同時に、各研究により発見されていく、新たな価値観、新たな創造を、社会と連動しながらアウトプット( 執筆、講演などのご依頼はこちら)しています。

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1「作品」コラム

1.3 下画き 

AKiは絵を画く時、基本的に下画きやデッサンを行わないが、そのまま、迷う事も悩むことも無く、筆を走らせていく。AKiはデッサンが苦手?モノを見て画けない? という疑問がわいた。そもそもデッサンとは何か? 何の意味があるのか?モノを見て画くことに何の意味があるのか? 私たちは行為の意味と意義を調べる中で、AKiの特質的な行動に気付く ⑴ 興味のあるモノは、いつどんな時でも、どんな処でも、ずっと見つめる。触ってみる。ちょっといたずらしてみる。いつの間にか、時間という概念から外れ、とにかく自分が納得いくまで観察し洞察する。1時間だろうが、2時間だろうが、時に日を跨ぐ時も ⑵ 徹底された観察や洞察により脳裏に焼きつかれた画像は、絵を画く作品構想が頭の中で熟成させていく ⑶ 画く時、迷いも、悩むことも無く、頭の中で完成された作品を、パソコンからデータが送られた印刷機のように、ただ忠実に筆を走らせていく。体では画くという行為をしながらも、頭の中では今後の作品構想を吟味している【見解】デッサン、モノを見て画くという行為は、あくまでも本作品への「準備期間」であり、同時におこなわないといけないルールもない。本作品へ向けての準備をいつ、どこでやるのか?である。AKiの場合は、24時間、365日、トイレに行く時も、ご飯を食べている時も、移動の時でも、寝ている時でも、絵を画きたいがために、常に日頃から頭の中で繰り返されているのである。その結果、煩悩(迷い、悩む)を削ぎ落とした状態で画くことができ、AKi作品の特徴である「無垢な表現」に繋がっていると考えられる。

2「医学・福祉」コラム

2.2 思いやり

多数のご相談を受ける中で、高い割合で耳にする言葉がある「AKiさんって絵の才能があっていいよね」「AKiさんには絵の才能があるから」この言葉を素直に喜んで受け入れる反面、たった一言で、表舞台の裏にあるAKiや仲間、お客様の背景を、簡単に見過ごされてしまっている様な言葉に感じ、時に寂しさを感じるコトもある。AKiは、苦悩だの、苦労だの、頑張りを周りにアピールすることもなければ、一切口にしない。AKiの中では当たり前過ぎて、自分の行動に気付いていないかもしれないが、実際には、画くために1秒、1時間、1日、365日を過ごしている。ご飯を食べる時も、トイレに行く時も、寝ている時ですら・・・生きる時間の全てを作品に費やしているのである。AKiを職人さんとして例えたら、職人の中の職人。こんな職人さんはこの世にそう滅多にいないだろう。もしAKiに絵の才能が在るのであれば、何もしなくても、誰もが認める素晴らしい作品を最初から画いているでしょう。AKiは画家として1%の才能と99%の努力で成り立っているのが、日頃のAKiを知る私たちの見立てである。努力は欠かせない。が、ご承知の通り、職人さんは、その“コト”に関してはピカイチであるが、その“コト”以外はとにかく無頓着である。とても器用そうに見えて、とても不器用である。その不器用な部分を補うのが家族や、私たちの役割であるが、特にAKiが画いた作品を評価していただくお客様の存在は大きい。この絶妙な歯車(役割分担)が明確に成立してこそ、画家AKiという画家がこの世に存在し、そして作品が後世に残っていくのである。一つでも欠けたら成立しないのである。AKiの「才能」はその歯車の中心にあり、全体の歯車の大きさに比べたらとても小さなパーツに過ぎない。私たちは、この歯車にブレが生じないよう常に最新の注意を払っているのである。AKiに今やっているコトが本当に大好きかどうかを確認しているのである。小さな歯車だろうが、大きな歯車だろうが関係なく、嫌々やっていたり、無理やりやらされていたり、中途半端な気持ちでいたり、怠けていたら歯車は絶対に動かないのである。私たちは、障がいがあろうが、なかろうが、誰しもが何らかの才能は持って生まれてきていると考えている。ただその才能を活かすも活かさないも、結局のところ本人次第(やる気)であり、また、そこに周りの人が気付き、協力し合い(明確な役割分担)ながら、どこまで向き合えるかだと考えている。子育ての中で、親が子と一緒に目指す目的地「自立」そこには無数の答えがある。無数の方法がある。無数の考え方がある。正解は一つではない。だた、忘れていけないのは、それが本人にとって大好きなコトなのか、どうなのかである。大好きなコトであれば、多少の苦難も乗り越えていけるからである。そして、大好きなコトにとことん向き合う姿勢こそが、私たち周りの人たちの心を掴んでいくのである。AKiを近くで見守りながらつくづく感じるコト。もう少し相手のコトを思いやり、もう少し考えてあげる気持ちを持つコトができれば、見え方がガラリと変わり、そこに新たな未来と可能性が拓けていけるのだろう。大丈夫だよ、可能性は誰にでもある。

3「社会」コラム

3.1 新たな時代 

パーソナルコンピュータが誕生し、庶民でも手に届くようになった時代、私は真っ先に噛り付いてみた。当時は、プログラミングにより便利な機能が生まれるごとに、大きな感動を覚えた。プログラミングが苦手だった(致命的)私は早々にこの道を断念したのであった。当時、人工知能はまだまだ夢の話しであったことを覚えている。そして時が経ち現在、AI(人工知能)が誕生した。とても素晴らしいし、嬉しいことである反面、私たち人間社会を今後大きく変えてしまう存在でもある。数十年後には現80%の職が変わると言われているが、そんなに遠くない未来だと感じている。電源さえあれば、24時間、365日、愚痴も言わず、休み(疲れ、病気)、有給休暇、給与の交渉すら必要もなく、ストもない。指示されたことを100%こなしてくれる。さらに学習機能をもつことにより、より多くの仕事をこなせるようになる。会社の経営者の立場(利益追求)として考えれば、人間よりAIを採用していくのは当然であろう。ライバル企業も採用していたら、なおさらAIの採用にひた走るだろう。そんなことを考える前に、会社が存在できるのかどうかを心配した方がよいのかもしれないが・・・便利なモノを求め、車、冷蔵庫、洗濯機、電話などが開発され量産された。結果、一家に一台は当たり前の時代へ。車や電話にいたっては一家に一台どころか、一人に一台。娯楽を求め、テレビ、ゲーム、カメラ、スマホが開発され量産された。結果、私たちは子育てや家族の時間を削りはじめ、睡眠時間をも削った。気が付くと家の中にはモノだらけ、さらに人間の住む環境をも削っていた。肥満する者が増え、食事制限(ダイエット)する人が増えた。不健康にどんどん肥大した消費社会は舵をきらざるをえなくなり、二つをどう一つにするのか、三つをどう一つにするのかといったように「削減」の時代へ突入したのである。モノはもちろん、モノを作っていた会社も、その会社に勤めていた人間も、次々に削減されていく。そして、人間に代わって活躍していくのが、AIである。一見とても恐ろしい未来が待っているかのように想えるが、今まで人間がやらなければいけなかったことを、AIが人間の代わりにやってくれると考えると少しは気が楽になる。私たち人間は、新たな役割(今までできなかったこと)に人生(命)を費やせるのである。AIの登場により幕開けされた新たな時代は、人間一人ひとりの、生き方(存在 新たな価値観)、生きる意味(目的 新たな創造)を考え直す良い機会=タイミングを迎えているのである。私たちは、この基礎研究を基に、前の時代より既に特異性、特質性を遺憾無く発揮しているAKiに着目し、新たな価値観、新たな創造となるヒントを求め、日々、研究に取り組んでいる。

4「家族」コラム

4.2 願い

「障がいがあろうがなかろうが、活躍できることにもっと挑戦し、もっと社会で活躍して欲しい」AKiの父と出逢った時に、聞いて驚いた衝撃的な言葉だった。それは、息子AKiに対して教えてきたことであった。当時、出逢って間もない私にとって、正直、”知的障がい者”のAKiに対して、その厳しさがスパルタにも感じたことを覚えている。その後、月日を共にしながら、AKiが生まれた時、知的障がい者と告げられた時、自傷や多動によって多くの人に迷惑をかけた時、絵画きとして歩みはじめた時、プロのミュージシャンと共に仕事した時・・・さまざまなエピソードを少しずつAKiの父(木下)から聞かせてもらった。そして、ある時、気付くのであった。これはあくまでも「個」の意見であり、父が我が子に教える基本的なことであり、障がいがあろうがなかろうが子をもつ親だったらそう願うだろう、と。「障がい者」=「ハンディキャップ」「かわいそう」「たいへんそう」=「応援して”あげなきゃ”」日頃、メディアや知人からの情報と知識により、「障がい者」「障がい者の家族」という勝手なイメージが作り上げられてしまい、当初、その視点から私は感じ取ってしまっていたのであった。現状として、障がい者の判定数は年々増加している。そして超高齢化社会への突入と子育ての苦難。福祉というカテゴリーの中でも、それぞれの立場の当事者や、家族からしてみたら、もっとサービスを充実して欲しいと願うのは本音である。子育て中の私も、充実してもらえたことに純粋に喜びを感じている。その反面、誰かが負担し、最終的には、我が子が負担させられていくのである。このままでは国の財政をどんどん圧迫していくことになるのと同時に、国民ひとり一人へもっと多くの負担を背負わせていくことになるでしょう。父が子に想う気持ち「障がいがあろうがなかろうが、活躍できることにもっと挑戦し、もっと社会で活躍して欲しい」自分たちの足跡が、将来、少しでも何かの突破口になれればと願い、日々奮闘するAKi親子がいる。そして、笑いながら父は話す「AKiも税金をいっぱい収めるようになったらいいね」と。

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